天皇の奉仕される宮中の祭祀(二)自然神と祖先神への祭祀

現在の皇室(宮中)祭祀は、ほぼ皇居吹上御苑の御所に近い「宮中三殿」において営まれ、内容的に(一)年始・毎旬毎朝の拝礼、(二)自然神などに祈る祭祀、(三)祖先神などに祈る祭祀の三つに分けられることは、すでに述べました。今回は(二)と(三)について解説します。

自然の神々に祈る伝統的な祭祀

(二)のうち、⑥祈年祭は、和訓で「としごいのまつり」といいます。この「年」は元来「秊」で、「禾」と「千」から成ります。この「禾」は稲に代表される本科の植物(五穀など)、下の「千」は古く「人」に作り、のち「妊」に通じて、「秊」は禾実が豊かに熟する「稔」の意を表わし、その収穫の周期で年を数えたから「年」も同義に使われています(白川静氏『字統』など)。

この年(豊稔)を祈る祭は、すでに天武天皇朝(7世紀後半)ころから、旧暦2月4日に、中央でも地方でも丁重に行われてきました。明治以降は、2月17日の午前10時すぎ、黄櫨染御袍を召された天皇陛下が、まず賢所の内陣に着座され、天照大神に年穀の豊作と国家の隆昌を祈る拝礼をなさり、ついで皇霊殿と神殿でも拝礼されます。そのあと黄丹袍を召された皇太子殿下(現在は皇嗣殿下)が三殿を巡拝されます。

これと対をなすのが、⑦神嘗祭と⑧新嘗祭です。両方の「嘗」という漢字は、古代の中国において新穀を供えると、神さまが嘗め(召し上が)られる秋の祭を意味します。一方、古来の大和言葉で「あへ」(饗)るといえば、食物で神々を饗応する(もてなす)ことを意味します。

そこで、秋に収穫した新穀は、記紀神話で稲穂を子孫に授けられたという天照大神に感謝して、先ずお供えし召し上って頂く「神嘗祭」が、旧暦9月中旬の夜、天照大神と豊受大神(食物神)を祀る、伊勢の神宮(内宮と外宮)でも年間最上の〝大祭〞です。

それが明治以降も、新暦10月中旬の15日夜に外宮で、16日夜に内宮で営まれ、17日朝に天皇陛下から勅使に託された幣帛(供物)を奉る奉幣の儀があります。

その奉幣(午前10時)に先立って、皇居でも黄櫨染御袍を召された天皇陛下が、神嘉殿の南庇から伊勢の神宮を遥拝され、つぎに賢所の内陣で御告文を奏されます。それに続いて五衣・小袿・長袴を召された皇后陛下と黄丹袍を召された皇太子殿下(現在は皇嗣殿下)と五衣・小袿・長袴を召された皇太子妃殿下(現在は皇嗣妃殿下)が、次々と殿内で拝礼されます。

この後、旧暦でも新暦でも11月下卯日(現在は23日)、皇居の神嘉殿において執り行われるのが⑧新嘗祭です。この日は戦後「勤労感謝の日」という「国民の祝日」になっていますが、今なお豊かに収穫できたことを神々に感謝する日として、ほとんど午前中に全国の神社などで、新穀を供えて神事を行い、そのおさがり(賜ぶ物=食物)をみんなで頂載する新嘗祭が行われています。

それに対して皇居の新嘗祭は、23日の夕方6時から8時まで、続いて夜11時から翌朝1時まで、「よいの儀」と「あかつきの儀」が営まれます。

それに先立ち、皇居内の御田で収穫された新穀(お米と粟)および全都道府県から献上された新穀(各々お米一升と粟五合)を使って、蒸した御飯(強飯)と炊いた御粥(今の炊きご飯)、および新米から醸す甘酒のような白酒しろき黒酒くろきを作り、他に魚介類や果物類を調理した神饌が整えられ、それが神嘉殿の母屋(中央の広間)に運ばれます。

すると、白い御祭服を召された天皇陛下が母屋に着かれ、その西の隔殿(小部屋)に白い斎服を召された皇太子殿下(現在は皇嗣殿下)が入られます。そして陛下御自身で神饌を神々に供えられ、その一部をみずから召し上がられます。この〝神人共食〞によって、神饌にこもる神々の威徳(霊力)を御身に受けられることになるといわれています。

なお、⑨節折と⑩大祓は、1年に2回、前半の6月末日と後半の12月末日とに行われます。前者は午後2時、御小直衣を召された天皇陛下が、宮殿の竹の間で御贖物おんあがものの御服に息を吹き入れられ、また御竹で背丈を測り、を折って被い清められます。

それに対して後者には、天皇の出御がなく、神嘉殿の南庭で下げ渡される贖物を祓い清めます。それによって、いつのまにか心身に着いてしまうツミ・ケガレ(気枯か)を取り除くことができると信じられています。

黄櫨染御袍 日本服飾史

祖先の神々に祈る近代的な祭祀

さらに(三)は、ほとんど、皇室の祖先を神として折々に祀る祭祀です。

このうち、⑬の「神武天皇祭」は、初代神武天皇が崩御されたと伝えられる日を新暦に換算した4月3日、皇居の皇霊殿で天皇が御告文を奏され、皇后・皇太子・皇太子妃(現在は皇嗣・皇嗣妃)が殿内で順々に拝礼されます。御陵のある奈良県橿原市には勅使を遣わされます。

なお、⑫「紀元節祭」は、明治以来、神武天皇が即位されたと伝えられる日を新暦に換算した2月11日に行われてきました。しかし、戦後それが廃止され、のち昭和41年(1966)「建国記念の日」と称する「国民の祝日」として復活しましたが、宮中では当日「臨時御拝」という形の拝礼が行われています。

皇室の祭祀では、(三)のうち初代に並んで重いのが⑪先帝の昭和天皇祭(大祭)です。ついで四代前の⑭孝明天皇例祭、三代前の⑮明治天皇例祭、二代前の⑰大正天皇例祭、および先帝皇后の⑯香淳皇后例祭が、いずれも小祭として行われます。

ただ、崩御から一定年数(5・10・20・30・40・50・百年、以後百年ごと)の「式年」に当たれば、⑭⑮⑯⑰も「例祭」ではなく⑲「式年祭」を大祭として営まれます。⑳それ以前(⑬以外)の歴代天皇の式年祭(百年ごと)は小祭です。

このように皇室では、歴代の崩御された相当日(旧暦の時代は新暦の月日に換算)だけでなく、毎年いわゆる「春分の日」「秋分の日」に㉓㉔春季と秋季の「皇霊祭」は大祭として皇霊殿で行われ、歴代の天皇・皇族たちに感謝を捧げられます。

また、それとは別に、当代(今上)天皇の御誕生日には⑱「天長祭」が小祭で行われます。

御祭服 日本服飾史

(本稿は所功『象徴天皇「高齢譲位」の真相』ベスト新書の一部を抜粋・加筆したものです)