宮廷文化サロン
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十二単の変遷
- 宮廷文化サロン
京都宮廷文化研究所研究員 津田大輔
いわゆる十二単は、謎に包まれた装束です。その正式な名称も誕生の経緯もわかりません。平安時代には「女房装束」「裳(も)唐(から)衣(ぎぬ)」などと記されますが、いずれも正式名称ではありません。現在は「五(いつつ)衣(ぎぬ)...
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葵祭を観るにあたって
- 宮廷文化サロン
岡本和彦
葵祭は賀茂御祖神社と賀茂別雷神社の例祭で、古くは「賀茂祭」、または「北の祭り」とも称し、平安中期の貴族の間では、単に「祭り」と言えば葵祭のことをさしていました。葵祭の行列を王朝風俗とか平安装束という表現がされていますが、...
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唐鞍(鞍橋)組み方
- 宮廷文化サロン
編纂 岡本和彦
日本の和鞍(大和鞍)に対して中国風の鞍を唐鞍と称しました。 唐鞍は、飾馬(かざりうま)といい独特の装飾をつけた馬に使用されたましたが、後世は廃れ儀式・祭礼の行列等に用いられました。
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京都御所の諸門
- 宮廷文化サロン
編集 岡本和彦
京都御所の諸門の解説[御唐門、宜秋門(四足門)、建礼門(四脚門)、建春門(日之御門)、朔平門(四脚門)、平唐門]
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近世の内裏の奥向きについて
- 宮廷文化サロン
編集 岡本和彦
「近世の内裏の奥向き」と称して、京都御所の御常御殿(天皇の日常のお住まいの場所)を中心にまとめました。
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古制の復興内裏について―近世の内裏―
- 宮廷文化サロン
編集 岡本和彦
近世の内裏の造営の中で、特に「古制の復興」に重きをおかれた造営とは、江戸時代後期の寛政度の御造営と安政度の御造営です。この二つの御造営は「古制の復興」と申し、平安時代の内裏の一部を古制に則って建物等が造営されています。
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髪上具
- 宮廷文化サロン
編集 岡本和彦
髪上具とは理髪に用いられる装飾品。五衣・唐衣・裳(十二単)、采女装束の時に用いました。近世では、大垂髪(おおすべらかし)の折に用い、古くは、垂髪であっても晴の厳儀、神事場合は、髪を結い上げ髪上具を用いました。
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十二単について
- 宮廷文化サロン
編集 岡本和彦
いわゆる十二単は、近世からの呼び名であり、正式には、「裳・唐衣」「唐衣・裳」と呼ばれ、9~10世紀頃は、裳を着けてから唐を着ける例「裳・唐衣」と、唐衣の上に裳の大腰を当てて着る例「唐衣・裳」がありました。
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袖の取り方(取り流し)
- 宮廷文化サロン
編集 岡本和彦
御大礼において、袍の袖の取り方は「取り流し」とします。令和の御大礼で考案した袖の取り方は、本式に取ったように見えるようにしたものです。
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狩衣について
- 宮廷文化サロン
編集 岡本和彦
狩衣は元は布製で「布衣(ほい)」といいました。「ほうい」と読むと狩衣類全般を表します。元々庶民の衣服でしたが、着勅が着用するようになると絹製になり、秋の小鷹狩などに使用され狩衣と呼ばれました。