(前回より続く)
京都の歴史解明に尽した人々
この葵祭や時代祭の行列を、戦後再興し充実させるために貢献されたのは、猪熊兼繁京大教授(1902~1979)などです。このような京都の歴史を解明し後世に伝えるため貢献された方は数多くおられます。そのうち、特に感謝したいお二人のことを少し申し上げます。
その一人は、角田文衞博士(1913~2008)です。先生は単なる学者に留まらず、行政や民間に働きかけて、平安京の歴史を掘り起こし、それを顕彰しようとされました。
角田先生は並み外れた博識の学者で、内外の考古学にも歴史学にも国文学などにも精通しておられました。その上、京都市内などの重要なところを発掘して調査報告書を作られました。そのおかげで歴史文献を裏付けられたことが多々あります。それのみならず、『平安時代史事典』という画期的な大事典も編纂されました。
これは大変に長い時間をかけ、多くの方々に協力を得て完成されたものであります。しかも、それが「平安遷都千二百年」記念の平成6年(1994)に角川書店から出版されました。私も少しお手伝いをしましたが、こういう大事業はやはり角田先生のような方がおらなければ実現できなかったと思われます。
しかも、角田先生は平安京の重要な場所にいろんな碑を建てられました。例えば、御所東隣の廬山寺あたりに紫式部が住んでいたことを考証して、既に昭和40年(1965)、ここに顕彰碑を建てておられます。これはいろんな所と掛け合い、予算を確保したりしたもので、とにかくよくぞなさったものだと思います。
もう一人は、林屋辰三郎博士(1914~1998)です。先生の業績はたくさんありますが、特に『京都の歴史』という新しい京都市史を監修し完成された功績は大きいと思います。京都市史の編纂事業は戦前から行われてきましたが、各巻の巻頭にご自身で概説を書いておられます。それを見るだけでも、京都の歴史が実によくわかります。何が大事なのか、どこに注目すべきか、ということまでよくわかるようにできておりまして、そこに戦後の研究成果を採り入れて、各時代各分野の専門家を結集してわかりやすく編纂されたのは、トップリーダーである林屋先生の学徳によるものだと思われます。
しかも、この市史編纂などのために収集された史資料を保管し研究し公開するために、昭和57年(1982)、御所の東の寺町通りに「京都市歴史資料館」を開設するため尽力され、初代の館長を長く務められました。
その後に京都へ赴任した私は、林屋先生から直接お教えを受けたことがありません。けれども、たまたま昭和が終り、平成に入った当初、翌年(1990)秋の予定と伝えられる平成の即位礼と大嘗祭を京都でやってほしいという声が、京都を中心に強く出ました。その件について先生から頼まれたことがあるのです。
これを実現することは、なかなか難しい。明治天皇が東京へ移られて、政府も国会も裁判所なども、ほとんど東京に出来て既に百年以上定着しておりますから、外国からの来賓も大勢参列する即位礼を京都でやることは難しい。それゆえ、東京の皇居で行われるほかないとしても、せめて大嘗祭は、夜分に限られた人しか参列しないのですから、大正・昭和と同様に、京都の仙洞御所跡あたりでなさることがふさわしいと思われます。
そこで、それを京都から政府に要望しようと考えて立ち上がられたのが、そのころ商工会議所の会頭の塚本幸一さん(1920~1998)とか、裏千家の千宗室さん(1923~2025)とかいう方々です。しかも、京都の民間有志だけでなく、大阪とか神戸など関西圏の有力な方々にも呼びかけ、市や府にも働きかけられました。その時に、その趣意書をまとめられたのが林屋先生であります。
その要望書を作られる際、なぜか林屋先生から私に下書きを考えてほしいと依頼があり、数日かけて拙い草案を作り差し上げました。おそらく他にも協力された方はおられたと思いますが、大筋草案に近い要望書が纏められ、塚本・千両氏らにより提出されました。それは政府の方でも検討したようでありますが、残念ながら京都でやることは難しいと判断され、実現しませんでした。
そこで、もう多分ダメだろうと諦めてしまい、積極的な努力を続けませんでした。そのせいか、案の定、令和の初め(2019)、即位礼も大嘗祭も東京になってしまいました。それでは、これから何十年後かわかりませんが、次の即位礼と大嘗祭、せめて大嘗祭は京都でということは不可能なのでしょうか。
これは残念ながら、多分ダメだと思っている人が多いかもしれません。しかしながら、これから有志みんなで根気強く頑張れば出来るようになるかもしれません。長い目でみれば、いろいろ事態は変わってく可能性があります。
20年や30年という短いスパンでなく、百年単位で考えれば、大正と昭和の初めには京都で行われたことですから、何もしないで諦めるのは早すぎます。今から次代を見据えながら、せめて次の大嘗祭は京都でということが可能になるよう目標を立てる。これは京都の方々、京都に心を寄せる人々の努力次第だろうと思います。
これは、今日お集りの皆さんの理解と協力次第だ、と言えば言い過ぎかもしれませんが、それくらいのつもりで考えてほしいことです。それによって、現に京都御所と京都御苑があること、そして京都に千年にわたる都があったことの意義を内外の人に知ってもらい、今後それをさらに発展させていく、大きなエポックになるだろうと思っています。
とはいえ、それに向けて何ができるかといえば、そう簡単ではありません。しかし、いろんな手掛かりはあり、現に動いています。その大きなひとつが、いわゆる「双京構想」にほかなりません。
これは元来、一極集中の首都機能を東京以外のところへ移転分散しよう、という政界・財界の動きが平成の初めから盛り上り、関西では京都か大阪を「副首都」にという声が強くなりました。
それがもっとリアルになるのは、平成23年(2011)3月、未曽有の「東日本大震災」が起きましてから、もしも東京の機能が麻痺するような状況になった場合、その代替機能をどこで担うのか、とりわけ日本国の象徴である天皇をはじめとする皇室の方々にどこへお移り頂くかということになれば、それは京都しかない、という具体的な意見が、当時の石原慎太郎東京都知事と山田啓二京都府知事・門川大作京都市長および立石義雄京都商工会議所会頭などの間で持ち上がりました。
それで、既に前年から発足していた「京都の未来を考える懇話会」において協議され、同25年にまとめられた「京都ビジョン2040」の中に「双京構想」案が盛り込まれました。これは、端的にいえば、政治都市東京と文化都市京都が役割を分担していこうという長期構想であります。
そのために、いろんな努力がなされました。府知事・市長・会頭が同席され、数名の有識者が自由に見解を述べる会議では、私も座長を数回つとめたことがございます。その関係で「双京構想」を広く理解してもらうため、毎年数回、京都アスニー(京都市生涯学習総合センター)で開催されることになった連続講座の企画と実行を、友人と共に手伝っております。

京都御苑に「宮廷文化」のデジタルミュージアムも
これとは別に、政府の方針として、平成28年(2016)から京都御所も仙洞御所跡も桂離宮も修学院離宮なども、年間を通じて拝見できるようになりました。昔は手続きがなかなか難しかったのですけども、今は通年公開です。その御所を見学しに来られた方々のため、宮内庁の関係者や都草の方々などがボランティアでガイドしてくださり、より理解を深め広げておられます。これは今後とも、修学旅行生や外国の方に京都の宮廷文化を伝えるため、末永く続けてほしいと存じます。
この御所周辺の京都御苑は、環境省所管で早くから公開され、閑院宮邸跡は、最前もご紹介がありましたように、展示館も改装充実されています。しかし率直に申せば、ちょっと敷居が高いと思われているのか、来館者が多くありません。もう少し入りやすくする工夫をしてほしいと念じております。
そこで最後に、かねて想い描いてきた私の夢を申し上げます。ご承知のとおり、京都御苑にはかなりスペースがありますから、あそこに「宮廷文化デジタルミュージアム」というようなものを作ってもらえないかという夢です。こんなことを数年前から言っているのですけれども、なかなか耳を傾けてもらえませんでした。
しかし、同じことを何遍か言っているうちに聞いてくださる人も出てきました。しかも、私の予想を越えて、その前提として、古来の宮廷文化を多くの人々に理解してもらえる展覧会を開催しようということになりました。それに最も理解を示された井筒の井筒顧問に勧められて、「京都宮廷文化研究所」という一般財団法人を作り、各分野の専門家などに協力をえて実現できたことがあります。
それは、まず平成28年(2016)に伏見区の京セラ美術館(現・京セラギャラリー)と城南宮で「京都の宮廷文化展」、ついで翌29年に東京の明治神宮文化館で「明治の大礼展」、さらに翌30年に京都の細見美術館と京都市立美術館別館で「京都の御大礼」特別展覧会を開催することができたのです。これを通じて、私自身いろんなことを学び、さまざまな方々のご苦労を知り、宮廷文化への具体的な理解を深めることができたように思います。
しかしながら、どんな展覧会も開催期間だけで終ってしまいます。したがって、やはり京都御苑の中あたりに常設の宮廷文化博物館が必要です。それは関係宝物を集めて大々的に展示するようなものでなく、最近の映像技術を活用して、自由に観て楽しめるデジタルミュージアムでよいと考えております。その一部は、すでに閑院宮邸跡の展示室にできていますが、これを拡充して本格的なデジタルミュージアムを作ってもらえたらと念願しております。

事業紹介『京都の御大礼―即位礼・大嘗祭と宮廷文化のみやび―』展 | 一般財団法人 京都宮廷文化研究所
宮廷文化を広める新しいボランティアを目指して
今日はこんなに多くの皆さんがお越し下さいまして、本当にありがとうございます。私も「都草」のボランティアの一人ですから、とても嬉しいのですが、これを今後につないでいくためにどうしたらいいのかということを、みんなで考えたいと思います。その一つは、ボランティアガイドも今は主として日本人向けですが、これからは多国から来訪される人々に御所や御苑を案内できるような人材も要るわけです。皆さんの中にも、外国語のできる方がおられたら、積極的に手をあげてほしいと思いますが、京都は大学の町ですから、各大学と連携して外国語で京都の宮廷文化を説明できるようになりたい学生を募り、都草の方々と一緒に研修をしながらボランティアガイドをしてほしいと願っております。
ご承知のとおり、ボランティアの語源はvoluntusというラテン語に由来し、自由意志により志願し奉仕することを意味します。しかも、それは他人のため社会のためよりも、自分のために喜んでやるからこそ自分が高まるのです。自分にもこういうことができるんだ、こういうことをして他人や社会の役に立てるということを発見して、さらに成長していく。それがボランティアなのだろうと思います。
そういう意味で、都草の皆さんは益々成長され、いろんな情報を共有しながらレベルを高めておられると思いますが、それを通して、京都だからこそできる宮廷文化への理解と普及に努めて頂けたらと願っております。
すでに80歳代の私は今、関東の神奈川県の小田原市に住んでおりまして、なかなか京都に来ることは難しいのですが、京都アスニーの連続講座などは、元気でいる限りお手伝いしようと思っております。今後ともよろしくお願い申し上げます。ご清聴ありがとうございました。(完)
※本講演は令和6年(2024)12月24日に立命館大学朱雀キャンパス大ホールにて行われた「京都御所・御苑歴史散策ガイドツアー十周年記念「京都御苑の魅力を、未来へつなぐ」」で行われたものです。
講演会の主催であるNPO法人京都観光文化を考える会・都草、明日の京都 文化遺産プラットフォーム、協力を得ました環境省京都御苑管理事務所 一般財団法人国民公園協会京都御苑、後援を頂いた文化庁・京都府・京都市 京都商工会議所・古典の日推進委員会・京都新聞とともに、講演の文字起こしに協力いただいたNPO法人京都観光文化を考える会・都草 特別顧問 坂本孝志氏に感謝申し上げます。