京都御所の諸門

京都御所の諸門

御唐門 向唐破風門

天正度御造営(1591)の時から西側築地南寄りにあります。
慶長度には、西側築地の中央より移動し、その南に四足門がありました。
寛永度には、御唐門と四足門が入れ替わっています。
宝永度(1709)は、南側築地の西寄りに設けられています。現在の日御門(建春門)と形状が同じと思われます。寛政度(1790)以降はありません。
承応度(1655)以降、彫刻の題材が一定します。

宜秋門(四足門) 公卿門

一間一戸の場合、控柱が本柱の前後2本ずつで計4本になるので、これを脚とみて四脚門とよばれます。屋根は切妻造で、柱と柱を頭貫で結び、斗栱(ときょう)を組みます。安政度以降、()秋門(しゅうもん)と称しました。

平成19年(2007)9月~平成20年(2008)年3月に桧皮葺(ひわだぶき)屋根の葺替を行いました。
また、平成20年(2008)3月に()(はなし)の新調を行いました。 笈形……中央に大瓶束と呼ぶ円柱が立つ、その左右にほどこされた彫刻

〈外側〉

(かえる)(また)二重紅梁中央……(りん)()(せい)? ろうご仙人?
蟇股上二重紅梁笈形北側・南側……牡丹に唐獅子
紅梁上蟇股南側……()長坊(ちょうぼう)王子(おうじ)(きょう)?(おうしきょう))
長押(なげし)蟇股北側・南側……竹に虎

〈内側〉

蟇股二重紅梁中央……牡丹
蟇股上二重紅梁笈形北側・南側……菊唐草
紅梁上蟇股北側……(じょう)利劔(りけん)(しょう)離権(りけん)) ((りょ)(どう)(ひん)?)
紅梁上蟇股南側……(ちょう)()(ろう)(つう)(げん)・張姑) (福徳仙人?)
切妻蟇股北側・南側……玄武
切妻蟇股上笈形北側・南側……牡丹唐草

建礼門(四脚門) 南門

慶長度、慶長18年(1613)から現在の位置にあります。
安政度以降、建礼門と称しました。
四脚門。

〈外側〉

二重紅梁蟇股中央……浪に龍
蟇股上二重紅梁笈形東側・西側……菊水
紅梁上蟇股東側……(きょ)霊人(れいじん)
腰長押蟇股北側・南側……唐桐

〈内側〉

二重紅梁蟇股中央……菊逆輪、下に雲模様
蟇股上二重紅梁笈形東側・西側……菊水
紅梁上蟇股東側……()長坊(ちょうぼう)、松に長春
紅梁上蟇股西側……廬敖(ろこう)黄安(こうあん))、松に水
切妻蟇股東側南北・西側南北……浪に飛龍

建春門(日之御門)

向唐破風で四脚門、安政度の御造営時には建春門の名があります。
西側の唐門を寛政度に移しこれを日之御門としました。
宝永度以前の日之御門の形式は、現在の朔平門と同じです。
平成18年(2006)9月12日~平成19年(2007)3月20日に桧皮葺屋根の葺替を行いました。

〈外側〉

唐破風二重紅梁蟇股中央……唐松、赤松子(せきしょうし)(黄初平)、岩と羊
唐破風二重紅梁上笈形中央……桜流
唐破風紅梁笈形外側中央……獅子に牡丹
唐破風紅梁上蟇股北側・南側……雲龍
切妻柱貫羽目板上北側……波に鴛鴦
切妻柱貫羽目板上南側……竹に椿
切妻羽目板下北側・南側……牡丹・枝菊
切妻紅梁上蟇股北側・南側……雲鶴
切妻紅梁上笈形中央……菊水

〈内側〉

唐破風二重紅梁蟇股中央……竹に椿
唐破風蟇股二重紅梁北側……雲に麒麟(きりん)
唐破風蟇股二重紅梁南側……浪に(さい)
唐破風二重紅梁上笈形中央……桜流
唐破風紅梁笈形外側中央……岡松
切妻柱貫羽目板上北側……波に鴛鴦
切妻柱貫羽目板上南側……竹に椿
切妻羽目板下北側・南側……波に扇
扉……花狭間

朔平門(四脚門)

皇后宮の正門で、安政度は准后御殿正門でした。
平成20年(2008)8月~平成21年(2009)3月に桧皮葺屋根の葺替を行いました。

〈外側〉

二重紅梁蟇股中央……西王母(せいおうぼ)
二重紅梁蟇股東側・西側……牡丹に獅子
二重紅梁上笈形東側・西側……鳳凰

〈内側〉

二重紅梁蟇股中央
二重紅梁蟇股東側・西側……牡丹に獅子
二重紅梁笈形東側・西側……菊水
切妻笈形北側・南側……鳳凰

平唐門

元は、諸大夫の間の西側にありました。大正4年(1915)の即位に際し撤去し、大正7年(1918)12月に御内庭の北の門として移築しました。棟門と同じ主柱2本です。

花狭間……桐に鳳凰
平入紅梁上笈形……紅葉流
切妻紅梁上笈形……桜流

八仙

()(てつ)(かい)
鉄の杖、瓢簞、虎。
ある時崋山(かざん)で老君に会うことになり、「身体を残して魂だけが去って7日目に帰ってきたが、弟子が6日目に身体を焼いてしまう李鉄拐の魂は戻るべき身体がなく困り果て、あたりを見回すと足の悪い乞食が倒れており、その身体に入って生きることができた。

(しょう)離権(りけん)(漢離権)……扇、獅子。

(りょ)(どう)(ひん)
剣を背負っている、粟飯を炊く象。唐代の仙人。幼少より聡明で、長安の酒場で粟の飯を炊いているうちに寝てしまった。夢で大臣になって政治を執っていたが、ある時失脚して左遷されたところで目が醒めた。しかし飯はまだ煮えていなかったという事件に遭い、大悟して鐘離権に出会い得道した。

(らん)采和(さいわ)……花籠、拍板(びんざさら)、鹿。
乾湘子(かんしょうし)……笛、牛。
何仙(かせん)()……蓮の花。

(ちょう)()(ろう)
白いろばに乗る。唐代の仙人で、(ぎょう)の時世に生まれ白驢馬(ろば)に乗って1日数万里を行き、休息の時は、驢馬を畳んで(ひさご)に納め、乗る時はその水を噴くと忽ち驢馬が現れた。

(そう)国鼠(こっきゅう)……玉製の板、馬。
(こう)(かく)仙人・()張坊(ちょうぼう)王子(おうじ)(きょう)……鶴に乗る。費張坊は後漢の世の人で、仙術を学び、白鶴に乗って飛行して遊んだ。
(きん)(こう)仙人……鯉に乗る。琴高は神仙の術を学び、その力で鯉に乗って水上を行き来し、書を読み遊んだという。

廬敖(ろこう)黄安(こうあん))仙人
亀に乗る。3尺ほどの亀に乗っている。その亀は、3千年に一度頭を出すが、ある人が尋ねると黄安は5回出すと答えた。

(きょ)霊人(れいじん)……白虎。大力神通を得た仙人で、山を(つんざ)く力を持ち常に白虎を愛した。
黄初平(こうしょへい)……石を羊に変える。後に赤松子(せきしょうし)と名乗る。
梅福仙人……鳳凰に乗る。
西王母(せいおうぼ)……仙桃。
蝦蟇(がま)仙人((りゅう)海蟾(かいせん))……三足蝦蟇
(じょう)利劔(りけん)……剣を乗り物として使い、大海の波の上を飛行する術を得た。

※時代及び資料の違いにより、仙人名にも違いがあります。

参考文献

  • 藤岡通夫『京都御所』新訂 中央公論美術出版 1987年
  • 庄司成男・荒川玲子 翻刻『安政御造営図志』 毎日エディショナルセンター 2004年