宮廷文化サロン
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髪上具
- 宮廷文化サロン
編集 岡本和彦
髪上具とは理髪に用いられる装飾品。五衣・唐衣・裳(十二単)、采女装束の時に用いました。近世では、大垂髪(おおすべらかし)の折に用い、古くは、垂髪であっても晴の厳儀、神事場合は、髪を結い上げ髪上具を用いました。
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十二単について
- 宮廷文化サロン
編集 岡本和彦
いわゆる十二単は、近世からの呼び名であり、正式には、「裳・唐衣」「唐衣・裳」と呼ばれ、9~10世紀頃は、裳を着けてから唐を着ける例「裳・唐衣」と、唐衣の上に裳の大腰を当てて着る例「唐衣・裳」がありました。
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袖の取り方(取り流し)
- 宮廷文化サロン
編集 岡本和彦
御大礼において、袍の袖の取り方は「取り流し」とします。令和の御大礼で考案した袖の取り方は、本式に取ったように見えるようにしたものです。
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狩衣について
- 宮廷文化サロン
編集 岡本和彦
狩衣は元は布製で「布衣(ほい)」といいました。「ほうい」と読むと狩衣類全般を表します。元々庶民の衣服でしたが、着勅が着用するようになると絹製になり、秋の小鷹狩などに使用され狩衣と呼ばれました。
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衣冠(衣冠単)
- 宮廷文化サロン
編集 岡本和彦
衣冠は元は宿装束です。村上天皇の時代頃、天徳4年(960)から、緊急の時は衣冠・直衣で参内することが認められるようになりました。 江戸時代には有位者全員に対する装束となり、文武ともに最も広く用いられました。
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束帯―闕腋袍―
- 宮廷文化サロン
編集 岡本和彦
闕腋袍は武官の束帯であり、動きやすいように腋が縫われていない装束です。「わきあけ」の袍ともいわれます。比較的平和な平安時代では戦の武闘用ではなく雅楽の舞人の舞踏用など主に儀礼用となり、一般的にはあまり見ることがなくなりま...
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衣紋道
- 宮廷文化サロン
編集 岡本和彦
平安時代初期は、礼服・朝服に見られる唐風文化(中国)の影響を受けていた時代でした。しかし平安朝中期は、大陸の文化の輸入が途絶えた(遣唐使の廃止)ことにより我が国独自の方向すなわち「和様化」になりました。
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事業紹介『京都の御大礼―即位礼・大嘗祭と宮廷文化のみやび―』展
- 宮廷文化サロン
久禮旦雄
「明治」改元から満150年、「平成」改元から30年となることを記念して、平安神宮に近い細見美術館と隣接する京都市美術館別館(大正天皇即位の際の大饗会場を移転改装した施設)及び京都市勧業会館「みやこめっせ」を中心に開催いた...