六 勅祭社の筆頭格
天皇陛下が各社の最も重要な例祭に宮中から勅使を遣わされ、御祭文と御幣物を奉られる特に由緒の深い神社が勅祭社です。伊勢神宮を別格として、京都の上賀茂神社・下鴨神社と石清水八幡宮、奈良の春日大社、島根の出雲大社、福岡の香椎宮、大分の宇佐神宮、愛知の熱田神宮、埼玉の氷川神社、茨城の鹿島神宮、千葉の香取神宮、および明治以降に創建された奈良の橿原神宮、滋賀の近江神宮、東京の明治神宮と靖国神社、以上16社(賀茂を上下あわせて一部とみなせば15社)が対象とされています。
勅祭社 の中でも、3月13日の春日祭、5月15日の賀茂祭(葵祭)、9月15日の石清水祭は、特に三勅祭と称されており、 勅使 が最高級の 束帯姿で参向されます。他は 衣冠姿です。
また、勅使の 御祭文 には、平安前期(9世紀)以来、賀茂の神様に対してのみ「 賀茂皇大神 」と称されています。これは賀茂社が平安遷都以来、伊勢の神宮に準じて、皇室・皇国の守護神= 皇大神を祀る神社とみなされたからだと思われます。その意味で上賀茂神社は16ある勅祭社の中でも、筆頭格と言えます。
勅使が奏上される御祭文の用紙は、すでに平安中期(10世紀)にまとめられた『延喜式』に記されており、伊勢神宮が縹色、賀茂両社が紅色、その他の石清水八幡宮などが白色と定められています。
この鮮やかな紅色の祭文は、5月15日の葵祭で社頭の儀に参拝すれば、下鴨神社の 舞殿 と上賀茂神社の 橋殿 において、勅使が奏上される様子を拝見することができます。
御幣物 は、神前にお供えするものであるため、お酒でもお金でも良いのですが、本来は 幣帛 とも言うように、絹や麻などの布地が供えられてきました。天皇陛下が 勅使 に持たせて供える御幣物も、五色に染められた絹と麻と木綿の布地を柳の箱に納めて神前に捧げられます。五色というのは、いわゆる陰陽五行思想の影響から、四方を表す青・赤・白・黒と中央の黄の五色とされています。

七 玉串拝礼と神饌
玉串は「玉=魂」つまり祀る人の思いを、祀られる神様のもとへ届ける仲介の串で、 榊 の枝に 木綿 や 紙垂 を懸けて神前に捧げられます。サカキは「栄木」とも「榊」とも書きますが、永遠の生命を象徴する常緑の小高木です。葉に光沢があり、神様に供えるのに最もふさわしいとされています(榊は和製漢字)。
遷宮とは単に美しくなった本殿に神様が遷られるだけでなく、そこで神様が神饌(神様のお食事)を召し上がられることに意味があります。その神饌を献上することが献饌であり、それをお下げすることが撤饌です。日本古来の神々は人間と同様に、新鮮な美味しいものを召し上がると元気になって神威 も高まり、人々に大きな恵みをもたらすと信じられています。そのため人間が一番美味しいと思うものをお供えし、心を込めておもてなしします。ちなみに、11月23日に宮中や民間でも行われる新嘗祭は、「ニへ・アヘのマツリ」で、贄=神様への供え物で、饗=神様をもてなす、という意味が込められた祭です。
神饌 は最も大事なものであるため、なかなか拝見できません。40年程前、上賀茂神社の故実に詳しい神職が「旧儀を正確に後世まで残す」ために、あらゆる神饌を撮影し図解して、既に出版もされています。一般の神社や家庭のように、お米・お魚・お野菜・果物などを生のまま丸物で供えるのではなく、すべて煮炊きしたり切り揃えたりして、神様に召し上がっていただきやすいように調理した熟饌になっています(調理神饌)。しかも、上賀茂神社の神領であった所やゆかりの産地から奉納されたものが多く、まさに山海の珍味が盛りだくさんです。 ご飯・お餅・お団子・お刺身・お菓子(ブト・マガリ)などは高く盛り付けることになっています。それらを神職たちが順々に手送りしながら運ばれますと、宮司が御扉の中に入られて御物棚に次々並べ供えられるそうです。
神社のお祭では、お供えしたもののお下がりを神様からの賜り物、つまり「タベモノ」として、お参りしたみんなで飲み食いすること( 直会 )により、神様のお力を分けていただくことができると信じられています。日本人は、 食物 のことを大和言葉で古くから「タベモノ」と言い、また食事の前に「いただきます」と言います。これは、人間が生きていくのに不可欠な口に入れることのできる食物を、神様からの賜り物(タブモノ=タベモノ)と考え、単なる食い物(餌=エサ)として摂取するのでなく、神様から頂戴するものであることに感謝しながら「いただきます」と言っています。
八 神山とならの小川
上賀茂神社の古い在り方は、北の方の小高い神山と称される、お椀を伏せたような美しい神奈備山に降臨された別雷神を遥かに拝む遙拝殿であったと思われます。
そのために、神様が常在される 本殿 と、臨時に祀られる 権殿 を造る際、その間を広く空けて、中央の 透廊から北方の神山を遥拝することができるような形に作られたのだと考えられています。
『新古今和歌集』に収める八代女王(聖武天皇の嬪)の恋歌に「みそぎする ならの小川の河風に 祈りぞわたる下にたえじと」と詠まれており、また『百人一首』で有名な藤原家隆の歌にも「風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりけれ」と詠まれている通り、この小川は禊(心身を祓え清めること)の名所であったことが分かります。
ならの小川の途中、庁の舎のあたり、贄殿北神饌所の脇に「奈良社」という摂社があります。その祭神は「奈良刀自の神」と言われており、楢の葉を綴じ合わせた皿に神饌を盛り付けて供える役割を務める女神が祀られています。小川を「ならの」というのも、奈良社の側を流れるところから名付けられたとみられます。
串は、 榊 の枝に麻や紙などをつけて、 穢 を祓ったり、神様を招いたりするときに用いられます。これを忌串(いぐし=いみぐし)とも 祓串 とも言いますが、上賀茂神社では古くから陰陽串(おんみょうぐし・おんにょうぐし)と称されており、お祓いが済むと「ならの小川」に流されます。
九 遷宮の意味
本殿を修理するために昨年から権殿へ移し祀られてきた別雷神が、修理を終えて美しく飾られた本殿へお遷りになる儀式が「遷御の儀」です。もちろん、一般の者は遠くからしか拝見できませんが、田中宮司の捧持される神様が、絹垣に囲まれて権殿から出られ、前の廊下を通って本殿の中へとお渡りになるのだと思われます。
御神宝は御祭神が必要とされる、いわば身の廻りの品々。一般に御神服や鈴・鏡・剣・琴などが多いようです。
上賀茂神社では御神服以外は、本殿と権殿の両方に同じ物が常備されています。これは、一方に神様がおわしますとき、非常事態が生じたら直ちに、他方へ移っていただけるように配慮されているからです。正遷宮では、十種類の御神宝が正殿に納められますが、権殿用の御神宝は、権殿代の意味合いを持つ忌子殿代と呼ばれるところ(昔の忌子殿)に納められており、後日間もなく権殿へ納められることになります。
神様のお召し物である御神服は、前回の平成6年(1994)に新調されたものですが、神様と不離一体のもので一具のみのため、遷御の際は神様と共に権殿から本殿へ移されます。なお、御神宝に含まれる武具は、神様が人々のためにツミ・ケガレを祓う力を強増されるように、という願いを込めて納められると言われています。
日本古来の神様は、欧米などの一神教で信仰される絶対的なゴッドと異なり、ほぼ一年ごとに活力の再生を繰り返しながら永遠の若さを保っています。それを常若(エバーユースフル)と言います。
毎年、葵祭の3日前(現在5月12日)夜中に「御阿礼」(=御生れ)の祭が、本殿より奥の小高い丸山の近くで行われます。また下鴨神社でも、同日午前に「御蔭」の祭が、八瀬に近い御蔭山の神社で行われます。その際に神様が生まれ変わり、新しい力を備えて蘇られるので、神様は常に若々しいのだと信じられています。
最後に昭和12年当時の御祭文を掲げておきます。
昭和十二年 十一月十七日 昭和度 正遷宮 奉幣祭 御祭文 勅使(掌典) 正五位勲五等 八束清貫 により奏上
天皇の大命に坐せる掛け巻くも恐き 賀茂別雷神社の大前に掌典正五位 勲五等 八束清貫を 使と為て白し給はくと白す。今回 正殿を旧の如く修理め奉りて、昨日はも還して鎮め坐せ奉らしめ給ひぬ。是を以て今日の此の日 礼代の御幣帛 奉り出し給ふ事を 平らけく安らけく聞し食して、天皇の大朝廷を始めて仕へ奉る百官人等天下の人民に至るまでに いかしやぐはへ(八桑枝)の如く立ち栄へしめ給へと申し給ふ 天皇の大命を聞し食せと、恐み恐み も白す。 昭和十二年 十一月十七日
御祭文の内容
正殿を修繕して元のままに鎮座していただき、御幣帛を奉って、天皇のもと多くの官人も天下の万民も見事に生い茂る桑の枝のよう、立派に栄えていけるように、お守り願いたい、という天皇の御意向をお聞きとげいただきたい。
